Scenes of New Habitations

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住むの風景

2022年3月2日 仙台市荒浜地区

柴原聡子

昼頃、震災遺構となり2016年から公開されている荒浜小学校へ。とてつもなく風が強い。
最寄りの荒井駅からバスで小学校まで向かう。途中は畑や田んぼが広がっていて、人気はない。最終地点である荒浜小学校には、3月だからか来訪者もちらほらいた。

周辺は災害危険区域として居住が認められていないため、再利活用の案が検討され、工事が進んでいる。住民へのヒアリングなども経て、市民や観光客が利用できる公園として整備されることになったようだ。荒浜小学校の他、住宅の基礎が残された場所が震災遺構として残されていて、その他は地元民も使える集会所や運動場、フルーツパークといった施設が点在している。

それぞれの施設は、1㎞かそれ以上離れている。近隣に密集しているとはいえ、車で回ることが前提で、歩く人はいない。のんびりと、整地をする工事や道路整備の工事が進められていた。植林プロジェクトも進められているようだが、木々はまだ大きくなく、それよりもただ整地された地面がむき出しになっている場所や、芝生の丘など、何もない状況がむしろ強調される寂しさがある。

荒浜小学校内は、大きく津波被害を受けた1階2階に当時の状況を残し、住民が避難した4階が資料展示となっている。教室に2畳ほどの大きな模型があり、かつての街のポイントをさまざまにプロットされていた。ここに確かに人の営みがあったことがわかる密集具合だ。およそ800戸があったそうだが、数を聞くよりも模型で見る方がよくわかる。車でしかいけないような距離感では、土地に人の営みの匂いはつかないのかもしれない。

ニュースで見知る限り、利活用は被災各地で問題となっているようだ。たしかに、今の整備後の様子を見ても、「かつてここに人が住んでいた」ことはうかがえない。被災住宅の基礎が残されている一角も、当時の津波の威力は感じるが、周囲はまっさらな土地で何もない。この光景をどう受け止めたらよいのか、少し戸惑ってしまった。

一番海側の堤防は、強風によって砂に覆われている。堤防の内側からは海が見えないので、風の強さも相まって、まるでDUNE(砂丘)にいるように見える。かつて、モロッコの砂漠へ旅した際、年に一度の砂嵐に見舞われて大変な目にあったことがあった。ちょっとその時の経験が思い出されて、どこにいるのかよくわからなくなる。
ただ、休憩した集会所で聞いたら、この時期が特に風が強いだけで、通年では心地よい風が方向を変えて吹くという(これが地元の特徴「イナサ」で、NHKで番組にもなっている)。初春の暴力的な風にまたも見舞われただけだった。

海岸線と並行してあるのが、江戸時代に伊達藩によりつくられた貞山堀。そこに、鴨やカモメが風を避けるように溜まっていた。穏やかな光景。いま、何者がここを居心地よく使っているのだろう。ゆったりと過ごす動物と、遅々と育つ植物と、のんびりと進む工事。これまでに訪れた被災沿岸部とよく似た土色の風景を前に、土地の記憶や愛着と現在の利活用を同時に考えることの難しさを実感した。