Scenes of New Habitations

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住むの風景

2022年10月4日 閖上、奥松島、女川

柴原聡子

2022年10月4日 閖上、奥松島、女川

奥松島の堤防とその傍にある家

6月のリサーチでは、岩手県北を中心に東日本大震災で被災した地域を7か所ほど回ってみた。これまでも数度訪れていた陸前高田と比較して、他の街並みを見るの初めての経験だ。被災の度合いは異なるものの、その多くは数年前にかさ上げ工事が完了し、その上に新しい街ができてしばらく経ったというタイミングだった。
最終日に大槌町を訪れ、休憩がてら、かさ上げ地のお菓子屋さんでアイスクリームを買って、店先のベンチで食べた。目の前に、ちょっと不思議な角度に振られて建つ新しい家があった。そこで、なんとなく「新しい街の風景は、住まいがつくっているのかもしれない」という考えが浮かんできた。

東京に戻ってきて、これまでリサーチしてきた各地の住まいの風景を写真に収めようという話になり、写真家のトヤマタクロウさんとデザイナーの米山菜津子さんと共に訪れることにした。

閖上地区

10月4日、仙台からレンタカーに乗り込む。まず近くの閖上地区に行く。着くと、ニュータウンさながらの風景が大きな川沿いに広がっていた。集合住宅型の復興住宅の周辺に、戸建てがひしめき合っている。小さな子どものいる家庭が多いのか、遊具付きのきれいな公園も整備されていた。川沿いにはいくつか商店街や観光施設がある。サイクリングを推している模様。お店が土手にテラス席を設けている。ランニングをする人、犬の散歩をする人、のどかな光景。言われなければここがかさ上げ地だとは気づかないほど。橋の向こうには仙台市街地が見える。仙台に通勤する人たちのベッドタウンになっているようだ。
「川のある街」としてブランディングをしているらしく、各所にそれをPRする資料や垂れ幕が掲出されている。隣で、瀬尾さんが「震災前は海の街だったのに」と驚いていた。なるほど、土手から眺めると家々やその前の道がどことなく川の方を向いている(つまり、海に対して直角に軸が置かれている)。新しい街は、新しいコンセプトのもと生まれ変わっていた。

奥松島

震災後、住宅を建てられない場所に指定されてしまった荒浜地区の貞山堀沿いを通って奥松島へ。
ここは、かなり海に近い場所まで宅地が広がっていたそうだが、現在、家はポツポツとしかなく、空き地や畑に転用されたような場所が目立つ。平地なので、陸も空も広い。鉄道の駅があった場所を境に、内陸側は震災前のままの密度で住宅が建っている(古そうな家もあるので、ここは家を活用できる程度の被災で済んだのだろう)。
海の方に向かって歩く。なんとなくそのまま直して住んでいそうな家、同じ土地に新しく立て直したらしい家、海の堤防からすぐのところには、住み続けることに強い意志すら感じるような家もあった(DIYぽい外階段、地階のピロティ、傍に置いてあった小舟……)。新しい堤防は海岸線沿いにずっと続いていて、夕暮れの光がとても美しかった。川の対岸には、耕作放棄地なのか、ちゃんと畑をやっているのかわからないけれど、枝豆がたくさん植わっていて、その先に大きなお寺とお墓がある。新しい家々とお墓が並ぶ光景も、東北の沿岸部でよく見かける光景だ。

女川

ほとんど日暮れ近くになってしまったなか、女川まで走った。少し雨が降り始めて、辺りは余計に暗かった。女川は大きな街で、宅地も多い。中心にある駅を囲むように、かさ上げ地の高台住宅が配置されている。明らかに山を切り取ったような跡が見えたので、少し高台から眺めてみようということになった。狭くて急な坂を上りきったところに、小さな公園があった。眼下に女川港が広がり、とても良い景色。公園の扉が閉まっていて入れず、困ってうろうろしていると、目の前の家の住人だと言う女性が来て、開けてくれた。
くじ引きでこの高台住宅の場所が当たったというその女性は、海のそばにあった家が被災し、新しい家に数年前に引っ越して、最近夫を亡くした。今は高齢の一人暮らしを心配する子どもたちが、家族と住む東京からよく来てくれるという。窓越しに、夕飯の支度をする娘さんが見えた。
同時期に建てられた新しい家だからといって、住む人の年齢や構成は色々だ。その区別なく、被災しているのだから。一見すると、高台住宅地の外観にその違いは見えない。だからいわゆる郊外のニュータウンに見えるところが多い。ニュータウンはおおよそ似た世代や家族構成の人々が住む。でも、ここは圧倒的に異なるのだ。家と人のエイジングがずれている。

女川は夜景が美しかった。そこから2時間かけて、気仙沼まで走った。