Scenes of New Habitations

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住むの風景

2022 年6⽉10⽇ 丸森町

丸森町の宍戸さんの作業場で年表のプレゼンテーションをする。

東京から仙台まで新幹線で向かい、そのまま⾞で丸森町へ。昼頃、斎理屋敷に到着した。斎理屋敷は、大正時代に活躍した豪商、斎藤理助氏の屋敷であり、当時の建造物や収蔵品を持つ郷土館である。現在は⼩森はるかさんと瀬尾夏美さんによる展覧会「⼭つなみ、⾬間の語らい」が開催されている。令和元年東⽇本台⾵以前の丸森町の様⼦が写真や住⺠からの語り部が展⽰され、丸森町の歴史と災害の関係が⾚裸々に綴られていた。会場窓際の写真に沿って、丸森町での戦争から戦後の台⾵による町の改修状況が語られた展⽰は住⺠の声、感じ⽅がダイレクトに伝わってくる。町と災害とともに⽣きることの⼤切さと難しさを改めて考えるきっかけとなった。

斎理屋敷を後にし、向かったのは元消防士で、現在は農業をしながら、丸森町の民生委員として活動をしている宍⼾さんのお宅である。五福⾕川のすぐそばにあるお宅は令和元年東⽇本台⾵にて被災したが、再建し現在も住み続けている。作業小屋をお借りして今回は⼩林研究室にて⾏った丸森町のリサーチの発表をさせていただいた。宍⼾さんだけでなく、他の住⺠の⽅も集まってくださり、リサーチにて作成した丸森町の年表を元に様々なお話を聞かせていただいた。

年表を⾒せると皆さんすごく喜んでくださり、⼩学校などに展⽰できたらいいなど嬉しい⾔葉を頂くことができた。彼らの防災に対する意識と丸森町の歴史への知⾒の深さ、愛の深さを感じた。
丸森町の歴史には、様々な産業に取り組み⽣活をしてきた痕跡が残されている。戦前には軍⾺や農耕⾺の育成を⾏ったり、昭和40代後半には「シルクとミルクのまち」として養蚕業と畜産業が発達したりした。その後、化学繊維や安価な輸⼊⽷が⼊ってくると同時に養蚕業は衰退していった。そして桑畑を⽥んぼにした農業にたどり着き、現代では宅地として利用されている。一方、⼭間部では林業や⽊炭の製造が⾏われており、兼業として阿武隈川⽔系での漁業も行われていた。その後、プロパンガスの台頭による林業の衰退や、阿武隈川⽔量減少による漁業の衰退などが重なり、丸森町は第⼀次産業の場としては衰退していったのである。

こういった町の歴史には、度重なる台⾵や洪⽔、飢饉によって町は何度も復旧をしなければならない状況が数多くあった。印象に残った宍⼾さんの⾔葉がある。「⼩さなことを重ねるのではなく、⼤きな視点で町を⾒なければならない。復旧で終わらせず、復興をしたいのだ。」学⽣の作成した⼤きな歴史を踏まえた年表が、新たな視点を⽣むきっかけになったとしたら⾮常に嬉しい。

宍戸さん宅を後にし、向かったのは、昨年お話も聞いた五福⾕川沿いに住む佐久間さんのお宅があった場所だ。五福⾕川の洪⽔にて⼀度⽬は被災を免れたが、その後の⾃衛隊の復旧⼯事により川の流れが変わってしまい、2度⽬の洪⽔によって家が被災してしまった。現在は⾃⼒で移転を決意し、もともと家があった場所は畑として活⽤している。しかし、この地に砂防ダムの建設が決まり、来年3⽉には完全に⼿放すこととなっている。災害やその復興のために⾃⾝の⽣活を犠牲にしなければならなかった佐久間さんの⾔葉には努⼒とあきらめが滲んでいるように感じた。