20220617
「家が作られねばならぬ」
「家が作られねばならぬ」——誰へもの一つの心配としてそれが起こった。
この旅で、プロジェクトの発端にある今和次郎の言葉をこれほど強く感じるとは思わなかった。
被災後のまちの風景は、12年目を過ごす今、住まいが主に作り出している。その住まいに求められる条件は、「どんなふうに暮らすか」ではないように感じられる。巷ではほとんどの人がこれに終始している(と思う)。暮らしのスタイルといったものが過度に重視されている。
しかし、重要なのは「どこに暮らすのか」「誰と暮らすのか」ではないか。誰と、とはひとつの家の中に住む人々のことではない。地域として、どんな人たちと暮らしていくのか、だ。被災し、フィジカルなモノが失われ、ソフトとしての地域史は高齢者しか持ちえないなか、一からまちを再建しつつある場所は、この当たり前で言われつくした言葉の大切さを、リアルに教えてくれる。
かつて「住まいの条件」というテーマで建築史家の藤森照信さんにお話いただいたことがある。藤森さんは縄文時代の暮らしの話をしていた。当時の住まいとは、火を囲む単位であったと。家族は家族で。ただ当時も単身者はいて、その場合は一人で火を焚いていた。寂しい感じもするが、そういう様々な状況にある人たちが集まって、ひとつの集落を形成していたと。
この集落の単位を、2022年の被災後のまちで、考えている。
2022年6月10日~16日までの7日間、東北のリサーチへ出かけた。前半は、瀬尾夏美さん、早稲田大学小林恵吾研究室と共に丸森→陸前高田→気仙沼を訪問。後半は、宮古→田老→野田村→普代村→山田町→大槌町と岩手県北を瀬尾夏美さんと回った。
東日本大震災で被災した三陸沿岸部は、被災後12年目となりほとんどのかさ上げ地が出来上がって、住宅再建もほぼ完了した状態だ。この旅で、各地の住まいが作り出す景観を見ることができた。背景には、もちろん土地土地の歴史がある。一方で1960~70年代に全国規模で行われた国土計画の影響をもろに受けているという意味では、共通点も多い。
個々のレポートは追って上げていく。