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住むの風景

四十年前の「異国情緒」

柴原聡子

四十年前の「異国情緒」

© Eisuke Asaoka

26日、温さんたちとのリサーチ4回目。だんだんと行く場所の傾向が見えてきた。今回は竹芝。田町から日の出桟橋を通り抜け、伊豆七島の方に行く船が出ている竹芝客船ターミナルまで散歩をする。

東京の湾岸あたりは、70年代後半から90年代にかけて盛んに開発されてきた。バブル期にはベイエリアやリバーサイドなどと呼ばれ、空前のウォーターフロント(湾岸)ブームが起こる。トレンディドラマの舞台にあったようなグレーのマンションや、そっけないビル、倉庫風の施設がたくさん建った(ディベロッパーなどがこぞって参照していたのはニューヨークだったらしい)。現在もこのエリアはそれらが多く残っていて、比較的新しく再開発された高層ビルもあるが、(港湾地区特有なのか、くだびれた首都高が海岸沿いに並走しているせいか)殺風景な感じの方が強い。マンションのエントランスや日の出桟橋の乗船場あたりには、ヤシやソテツといったリゾート風の木々が植わっている。

同行する写真家の朝岡君が、目黒辺りの新しいマンションには、決まって「おしゃれな木」っぽく見えるオリーブやトネリコが植わっていると言っていた。すると、当時(自分が小さい頃)はなんとも思っていなかった、都市のあちこちで見られた南国風の植栽が奇妙に思えてきた。

70年代以降、ビルが加速度的に東京を覆うようになった。60年代初頭までは建築基準法によって高さ31m(おおよそ10階建て)を超える建物は禁止されていたからだ。日本初の超高層ビルとされる霞が関ビルディング(高さ147m)の竣工が68年。東京タワー然り、とんでもない高さの建物ができて、風景は一変したと想像される。現在の東京の街並みはそれをベースとしていて、ほとんどの場所が形の似た高層ビルか中小規模の雑居ビルで埋め尽くされている。特にビルディングタイプが更新された感じもないし、この数年で激変するようにも思えない。そういうビルの周りに植わっている木が、30~40年前は南国風で、今はオリーブに変わっている(どちらも外来種なのが気になる)。

四十年前の「異国情緒」

© Eisuke Asaoka

四十年前の「異国情緒」

© Eisuke Asaoka

風景の中にあって奇妙な存在。明治期も、洋風の建物がポツポツと建ち始めた頃は、あまりにも異様な存在であったらしい。異国情緒を通り越した奇妙なものとして一般市民の目に映っていたのだろう。1974年、日本近代建築の研究者として活動していた藤森照信の文章にはこうある。

明治の洋風建築の輝く白さの深い意味は、江戸の闇の側から見た時、はじめて啓示されるのです

ここまでの違和感はもちろんないけれど、生態的にはそこまで合っていないだろう東京に南国風の植物が植えられていることの違和感は、少し近いような気がする。これは、当時の「異国」に抱く憧れの片りんなのだろうか?

いや、たぶんもっとねじれている。
ヴェネチアで見た美しい夕焼けが、ディズニーシーやCGに見えてショックだったこと。フェイクだと知りつつ本物より先に模倣された風景を享受していたこと。それが今も東京の風景の一部として成立してしまっていること。竹芝の対岸に見えるお台場はその最たるもののひとつだ。80~90年代の東京には、そういうものがあふれていた。

世界中のホンモノを「情報」としていつでも簡単に知れる今、江戸の闇に真っ白な洋風建築が現れた衝撃は生まれない。フェイクでもいいから味わいたい異国情緒として作られた当時の建物や風景は、歴史的建造物として残されている明治や大正期の洋風建築ほど重要ではないように見える。とはいえ、ある一時代を彷彿とさせる何かはまとっている。ただ単に残ってしまったモノは、レトロ需要以外に価値を見出されるのだろうか。今「おしゃれ」に見えるマンションの前に植わるオリーブの木は、30年後に別の木に変わっているのだろうか。

四十年前の「異国情緒」は、少しの引っ掛かりをもたらす。

*「ホームズ写真から鬼神論へのラフ・エチュード」『都市住宅』1974年4月号所収