Scenes of New Habitations

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住むの風景

2022年3月4日 丸森町、福島県双葉町

柴原聡子

午前中は引き続き丸森。役場に出向き、丸森地区のまちづくり協議会の方と少し立ち話。その後、五福谷地区へ。前日にお話を聞いたHさんのお住まいがあったあたりなどを歩く。かつて桜の木が植わっていたところ、今も残っている小さな鳥居、庭だった場所の石垣や木など、かつて何があったかのポイントになるものは少しずつ残っている。12月に来た時からはそれほど変わっていないが、今後ここは遊砂地として整備されていくので、風景は徐々に変わっていくことだろう。瀬尾さんと話して、念のため定点で撮影しておくことにした。

その後、Kさんのお宅へお邪魔する。もともと消防士だったKさんは防災にも詳しく、現在も今後の丸森の災害対策などについて、住民の立場から様々に活動をされている。2019年の台風の際も民生委員として住民の避難を率先された。Kさんが経験から得た防災対策は、「同じ川のずっと上流の方の降雨量を、住民が自ら読めるようになるべき」など、科学的なデータの活用法などを踏まえていてとてもスマートだ。ご自身も被災されているなか、このような知見をまとめて後世に活かそうとしている姿勢には頭が下がる。この日の朝、今後の丸森の防災を念頭に置いたまちづくりについての提案書を、ちょうど国交省に出したそうだ。

お話を聞いていると、役場の方がいらした。お暇しようと思ったが外野として聞かせてもらう。具体的な道路などの計画も話し合っていて、都心では起こらないであろう住民と行政のライブ感ある意見交換が興味深かった。余談として、昨日も話題に上った2008年の岩手・宮城内陸地震の話になった。役場の担当の方は当時自衛隊員として救助の最前線にいたという。発生直後に発行された被害と救助の様子をまとめた写真集を、「懐かしいなあ」と眺めている。写真に大きく映っていた警察犬らしきシェパードを指して、「この犬すぐばてちゃってね、その後に来た小さい犬の方がすごく働いてたよ(笑)」と教えてくれた。Kさんも元消防士なので、あの時はね……と色々な災害現場の話が出ていた。

双葉町へ

車で双葉町にある東日本大震災・原子力災害伝承館へ。ある時点から急に廃墟や解体工事、空き地が増え始めたことに気づいた。水害や山火事といった、自然災害であたり一面さらわれてしまった被災地の風景とはまったく違う。大きな木造のお寺が建物ごとぐにゃりと斜めに倒れかけていて、解体工事をしていた。

原子力災害伝承館はかなり海の方にあり周りもだいぶ整地されているため、空白の印象が強い。伝承館自体はすごく立派な建物だった。まず大々的なプロジェクションマッピングの概要を伝える映像があり、その後グッゲンハイム美術館のようならせん状の回廊を上って展示室へと向かう動線。被災前の様子と未来の福島沿岸部についても最初と最後にそれぞれ展示されているが、大部分は被災直後からその後数年間の出来事に割かれている。様々な立場の人の証言ビデオも各所に散りばめられていて、かなり力を入れて作り込んだ展示であることが伝わってきた。福島の海沿いにもいくつも伝承館はあるが、津波被害は他県に比べてやや小さかったため、原発被害に特化したこの施設に特に予算がかけられているのだろう。来館者は多くはなかったが途切れることなく人はいた。近くのJヴィレッジで練習するために訪れたサッカーチームの若い選手たちもいた。

日が暮れ始めて、少しだけ双葉町周辺を車で走った。少し高台の場所に行く。元は住宅地だったようだが、すでに基礎だけになった更地が多い。残っている家も、電気がついているところは少なかった。春以降、規制が解除されて帰宅可能になり戻ってくる人もいるようだ。それでも、10年超という歳月の中でこうやって少しずつ家が壊されていき、住宅地がだいぶ歯抜けになっているという事実は重い。他の被災地と風景の変わり方がかなり違う。人がいた場所が徐々にその匂いを無くし、土に解けていくような不思議な光景だった。