Scenes of New Habitations

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住むの風景

懐かしい場所

柴原聡子

温さんは、郷愁という言葉に敏感だ。懐かしい、という言葉が何に紐づくのか。それは彼女にとって大きな問題なのだろう。そして、この感情を簡単に導き出してはいけないこともじゅうぶんに理解している。東京は、多くの人にとっての通過点であった。けれど、高度成長期以来、人口は膨れあがった。つまりは来たっきり東京を拠点にし、出身地に帰らない人が多数を占めたということだ。それでも、毎年年末の東京駅は信じられないくらい混雑し、大晦日ともなれば、これまた信じられないくらい閑散とする。その両方を目にすると、(旅行に行く人も多いとはいえ)これほどまでに地方へ「帰る」人が多いのかと驚く。同時に、郊外在住ながら実家住まいの自分は、毎年ちょっとつまらなくて、寂しい気持ちになった。「帰る」場所があることに、ずっとどこか憧れがあったのだ。自然豊かだったり、雪深かったり、見渡す限り田んぼだったり。そんな想像を毎年末しては、いつもの日々と変わらない自分の年末が、味気なく思えた。
ただ、これだけ東京2世、3世が増えている中、疑問も浮かぶ。実家に帰る、はいったい何世代先まで通用するんだろうか。どこまでが、地縁があると言えるのだろうか。それとも、単純に親元に帰っている人たちだけなのだろうか。

温さんが「通過点に、懐かしさを感じているのかも」と言って、翻って、自分が懐かしいと感じる場所はどこだろうと考えてみる。とっさに、横浜の山手や元町あたりの風景が浮かんだ。横浜市内といっても、自分の住まいはだいぶ工業自体側にあるから、無縁の場所だ。ただ、あの異国情緒あふれる観光地化された横浜が、子どもの頃からずっと好きだった。父親に連れられて、家族で、小学生の時、初めて友達と二人きりで電車に乗って行ったのも、石川町だった。一年中、クリスマスにまつわる輸入雑貨を売っている「クリスマス・トイズ」というお店があって、本当に好きだった。アドベントのカレンダーや、ツリーにつけるオーナメント(1個だけだから、あまり意味をなさない)を買ってもらった。ミュージカルの「アニー」に出てくるのと同じ、大きな犬(オールドイングリッシュシープドッグ)がいた。お店は丘の上にあって、出た通りから外人墓地越しに港が見下ろせたことも覚えている。そこは、小さな私にとってすごく遠い場所で、外国だった。

お盆や年越しに帰れるような場所ではない。ただ、事細かに、駅からの道すがら見える風景や坂のきつさまで覚えているのだから、懐かしいことには変わりない。かといって、印象深かった旅をあれこれ回想するのとも違う。そこを再訪したとして、私は懐かしいとは思わない。私は、年末にスーツケースを携えて帰っていく人たちを見て、うらやましいと思う。勝手な想像だったとしても、それは「帰る」という行為とつながっているからだ。では、これほど記憶し、何度も訪れた場所と、自分の関係は何なのだろう。

これだけが理由ではないけれど、次のリサーチは、横浜に決まった。