Scenes of New Habitations

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住むの風景

東京モノレールに乗る

柴原聡子

東京モノレールに乗る

整備場駅近くの風景 © Eisuke Asaoka

四十年目の都市

1960年代、日本の建築家たちは新陳代謝の意味をもつ「メタボリズム運動」の名のもとに、次々と新しい都市像を提案した。時は、高度経済成長期。爆発的に拡大していく営みを支えるべく、東京は、環境にすばやく適応する生き物のように自ら新陳代謝する都市のイメージを理想としたのだ。当時これは世界の注目を集めたものの、建築家の壮大かつ奇異なアイデアとして十年も経たずに霧散していった。とはいえ、その後も東京は、基本的には成長し続ける都市モデルに合わせて、飽きずに開発を繰り返してきた。

つまり、これまで通りならば、四十歳過ぎの私たちが幼い頃に見ていた風景が、そろそろ消えていく時期になる。巨大再開発の対象になる街や、フォトジェニックな保存したい街並みではなく、単に目を向けられてこなかった風景は、このまま消えていくのだろうか。そう思って、歳が近い人たちで、東京と聞いて思い出す、記憶に長く留まっている風景を歩いてみることにした。場所は、温さんにとって思い出深いというモノレール沿いのいくつかの駅。

東京モノレールに乗る

© Eisuke Asaoka

訪れると、どこもびっくりするほど時間が止まっていた。予想通りでも予想外でもない展開。当たり前だけれど、かつて新しかったものがそのまま古びた感じ。エイジングの良さとか、使い込まれたことで生まれる魅力といったものもなく、単に殺風景がそのまま歳を取ったようだ。買ったことを忘れていてダメにしてしまった冷蔵庫の葉物野菜みたい(しばしば、しおれた姿で発見される、あの感じ)。

これが六十年経てば、急に年月を経た価値を見出せるものになる? 今のところ、そんな気がしない。これまでだったら、価値付けをされる前に確実につぶされていただろう。ただ、新陳代謝のスピードが恐ろしく遅くなった日本で、何から何まで同じタイムスパンで更新管理することは不可能だ。東京都心でさえ、こんなふうにエアポケットに入ってしまったような場所は増えていくのかもしれない。ただ手をかけられずに、そのまま古びていく都市の一角。

三歳から日本に暮らしている温さんが、これらの風景は、モノレールの先、飛行機に乗って行く台湾の風景と地続きにあると話してくれる。東アジアの大都市は、東京とは比にならないスピードで開発が進む。すなわち、新陳代謝のサイクルも早い。一方、台湾では古き良き雰囲気を残したところも懐かしく感じるのだそう。異なる時間が流れている都市同士が、彼女の中で一続きになっていることが興味深い。

東京モノレールに乗る

© Eisuke Asaoka

1980年代から四十年あまりという中途半端な時間を経た東京の風景は、たぶん岐路に立っている。ずっと新しい、変わり続ける「未来都市東京」は、やっぱり理想でしかなかった。この都市は、少しずつ、確実に、ほころび、歳を重ねている。このタイミングで、通り過ぎてきた風景の現在地をもっと観察したい。そういう、どうでもいいと思っていたところに、リアルな東京が佇んでいるはずだ。東京に対して抱く愛着のヒントになる予感もする。

「東京は流浪の民が集まる街。なのに私には帰る土地(故郷)がない。」そう思い込んでいる首都圏出身者たちは多いはず(私もそのひとりだ)。でも彼らは、この都市に責任があるのだ。代謝が悪くなってきた、東京に。