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住むの風景

土の香り

20220708

「土の香り」を聞く vol.1 江口宏志さん(mitosaya)

柴原聡子

「住むの風景」は、複数のアプローチから土地と人間の関係を見直そうという試みです。
香りは、視覚と共に過去のシーンを蘇らせるメディアとして知られています。その記憶にある「風景」を呼び起こす香りには、場所そのものの香りも含まれるのではないか?という思いつきから、「土の香り」を考えてみることにしました。とはいえ、いきなり香りを試すには経験がなさすぎる。そこで、まずは「土の香り」を実践していると(勝手に)思う方々にインタビューをすることにしました。
今回は、「mitosaya」の江口宏志さんにお話を伺いました。mitosayaは、千葉県夷隅郡大多喜町にある蒸留所。5千坪を超える敷地で栽培する果樹や薬草・ハーブの他、全国の生産者がつくる果実や植物を使って、発酵や蒸留という技術を用いたものづくりを行っています。蒸留は香りの抽出法として一番メジャーな方法ですから、共通点もあります。土地で採れたものを蒸留してお酒を生み出すmitosayaは、どんなふうに土地と関わり、香りと味を生み出しているのでしょうか。

人工的につくられた土地の植物を使う

——mitosayaは、蒸留所で採れるものやつくり手がわかる材料を使ってお酒をつくられています。生産地の特徴を味や香りに還元しているようにも思えます。

お酒づくりでは、特定の畑を取り巻く自然環境が味に影響を与えることをテロワールと言いますよね。僕たちがつくるお酒の原料は基本的には植物なので、「土地の香り」はすなわちそこに生えているものの香りなんじゃないかと捉えています。
mitosayaがある大多喜は天然ガス発祥の地と言われていますが、裏を返せば土を掘るとガスが出てきちゃう土地ということなんです。水が乏しく、土地も痩せていて。それがこの場所の本来のテロワール。ただ、ここはちょっと例外で、40年くらい前につくられた人工的な場所です。元は公共の薬草園だったのですが、工事中の写真を見ると、山だったところを切り拓いたことがわかります。土も別のところから持ってきて入れ替えて、最盛期は500種類くらいの植物を植えていたらしい。僕らがここに来たのは7年前ですが、当時は薬草園の植物も放置されていたままだったので、結構荒れていました。そこから間引きしたり、新しく植えたりして、植生を良くしていった感じです。

——ここで採れるものでつくるお酒もありますよね。

花や実ができたら収穫し発酵させて。そのサイクルが植物に手を入れることにもなるので、わりとうまくいっていると思います。ここのものを使う場合は、量がそんなに採れないので、あえてポイントをずらしています。果樹の果実ではなくむしろ香りが良い花を使うとか。果実は全国の農家もつくっているわけで、そこで勝負しても仕方ないですから。フットワーク軽く、色々と試せるのが僕たちの強みです。例えばキンモクセイはいっぺんに咲いてすぐ枯れてしまう花ですが、咲き始めにボランティアの人も含めて10人くらいでバーッと収穫します。そうすると、お酒になるくらいの量が確保できます。

豊富なラインナップのアイデアはどこから?

——「これをお酒にしてみよう」というアイデアはどうやって生まれるのですか?

一つはこれ使ってみませんか?という提案ですね。今は、料理研究家の福田里香さんとタンポポのワインをつくっているのですが、これは彼女が「レイ・ブラッドベリの小説に出てくるタンポポのワインを飲んでみたい」と声をかけてくれたのが始まりです。あとは、バーテンダーやシェフからアイデアをもらうこともあります。試したくても実験できる設備がある場所が意外に少ないからじゃないかな。だから、実は僕自身のアイデア発というのがあんまりないんです。早めの老後として始めたつもりですし(笑)。ただ、声がかかるとうれしいし、やってみると楽しい。これまで丸3年ちょっとで115種類をリリースしてるから、結構な量をやってると思います。

——各地の生産者とはどうやって出会ったのでしょう。

農業新聞に載ることですかね(笑)。そこに載ったら全国の農家の人から電話が来るようになりました。「うちのぶどうを使ってほしい」とか。「にんにくはどうか?」って人までいました。さすがにないだろうと思っていたら、知人が「黒にんにくにすればプルーンのような味になる」って教えてくれて。それなら可能性あるかも?なんて気がしてきたり(笑)。
どの果物にも言えるのですが、見栄えのせいで出荷できないとか、タイミング的に市場に出すと赤字になってしまうものは一定量生じてしまいます。お酒をつくるには、むしろ食べるには遅い熟れすぎた状態の方が良いので、僕たちはそれが欲しい。たった一日の差で使い物にならなくなってしまうこともあるので、自分たちで生産者のところへ取りに行くことが多いですね。持ち帰った日にそのまま仕込むこともあります。あとは、地域の農家さんにお願いして、お酒にする前提で落花生を栽培してもらったり。この辺りは耕作放棄地も多いので、そこでライ麦を育ててみようとか。

変化に対応しながら、未知なる味をつくる

——お酒の種類が本当に豊富ですが、それぞれの味はどうやって決めていますか?

お酒をつくる工程は、大きく二つあって、一つは発酵です。果物の糖分を酵母に食べてもらって、アルコールと二酸化炭素に分けるという工程。この過程で味も香りも変化します。次が蒸留。アルコールと水の沸点の違いを利用することで味を調整していきます。アルコールの沸点は水より低いから、発酵した液体を熱すると、まずアルコール濃度の高い蒸気が出てきます。もっと熱すると水も蒸気になって混ざってくる。アルコールに溶けやすい成分と水に溶けやすい成分は違うので、気化のタイミングごとに味も香りも変わります。具体的には香りの成分はアルコールに溶けやすく、水には果実味とか苦み、酸味、色が溶けやすい。蒸留はそういう意味で選り分けていく行為なんです。分け方のバランスをどのあたりにするかが醍醐味ですね。

——タンポポワインとか、飲んだことがないお酒の場合は味の判断が難しいですよね。

この状態がベストだと見極めるというよりは、嫌じゃない、みたいな感じかな(笑)。お酒は人それぞれ好みも違うし、最低限をクリアしつつ、自分なりの何かが見つかればいいと思っています。日本酒みたいに、旨味を追い求めてコメを磨くという道もありますが、僕たちは違います。最低限生業になる量を確保しつつ、遊びの延長である感覚は保ちたいですね。

——一定の判断基準というよりは、それぞれの素材に合わせてつくっているんですね。ところで、最近は温暖化の影響なのか、同じ場所で採れる果物の味が変わってきているという指摘もあります。

まだ始めて数年なので傾向までは言えませんが、毎年こんなに収穫量が違うことには驚きます。一昨年、山形のさくらんぼ農家さんから採れ過ぎたので使ってほしいと連絡をいただいて、やってみたらとても美味しくできた。それで昨年もつくろうと問い合わせたら、「出荷する分さえ収穫できていない」と言われてしまって。そもそも年に一度しか収穫できないのに、こんなにアップダウンの激しいことをやっているって、ギャンブルどころじゃないなって。
それから、僕がここに引っ越してきたときは、千葉は台風が来ないからいいって聞いてたんだけど、ここ数年は毎年の通り道になっていますよね。台風の想定をしていなかったからビニールハウスもたくさん壊れてしまったし、農家をやめた人もいます。まだ数年ですが、そういう変化は感じますね。

「土の香り」を聞く vol.1 江口宏志さん(mitosaya)

既存の温室を直したミーティングスペースには、ブドウが茂っていた。

土地の香りを感じた体験

——香りとか味が風景を呼び起こすこともあると思います。香りと風景の関係について、どう思いますか?

アメリカにJuniper Ridgeという香りのブランドがあって、彼らは蒸留器を森の中に持ち込んで、そこで採取したものをすぐ蒸留して香りにして、土地の名前をつけた商品にしています。いいなと思って会いに行った際、サンフランシスコの森の中を歩くツアーに参加させてもらいました。途中、山道から少し外れたところに分け入ったところで、みんなうつぶせになって手を三角形にして地面の匂いを嗅げと言われて。当然ですが、やってみると土の香りを強く感じました。少し経ったところで、リーダーが三角形の中にハーブを入れたんです。その瞬間、これまでに嗅いだことがないくらい強烈な香りに変化しました。こういうことが香りを嗅ぐってことか!と。言語化も映像化もできないけれど、頭の中に明確な刺激が生じた。
それと同じような感覚を、僕が後に師事することになったケラーさんの蒸留所でも経験しました。シチリアのブラッドオレンジのお酒を飲んだところ、一口でブワーッと鼻に抜ける経験をして。気づいたら弟子にしてほしいと言っていた(笑)。僕がその場所や空間に期待して訪れたことも影響しているんでしょうが、香りによって体験が強化されることはありますよね。

「土の香り」を聞く vol.1 江口宏志さん(mitosaya)

蒸留酒を熟成させるセラー。

——調香師の方に「土地の香り」について相談したことがあります。そうしたら、調香師のイメージで異なる香りをブレンドするより、即物的にその土地のものを使った香りの方が良いのでは?とアドバイスをもらいました。今のお話はそれに近いですね。

そうですね。僕たちも、複数の場所で採れた柑橘類をブレンドすることもしますが、できれば生産地は混ぜたくない。一か所のものでつくりたいと思っています。

――mitosayaは種類がものすごく多いのに、それぞれの素材にまつわるストーリーやつくられ方がとても丁寧に書かれています。読んでいると、素材が育まれた土地のことをつい想像してしまう。そこが魅力の一つだと思います。

それ以外書きようがないから。最初に〇〇の香りが来て、次に何々が鼻を抜けて、どんな風景が浮かんで……といた、テイスティングノートっぽい表現が得意じゃないですし(笑)。それよりはなぜつくったか、どのようにつくったかをきちんと説明したい。蒸留の工程はもちろん、パッケージとか、名づけとか、サイトに商品の情報をアップして……というのは本屋時代にやっていたこととほとんど変わりません。そういうことが自分に合っているし好きなんですよね。自然の中で暮らし、そこから得たものを使いつつ、得意なことを活かして仕事にする。その状態は楽しいし無理もないから、すごくいいなって思います。

(2022年6月1日 mitosaya薬草園蒸留所にて)

江口宏志(えぐち・ひろし)
蒸留家/mitosaya株式会社 代表取締役
ブックショップ[UTRECHT]、[THE TOKYO ART BOOK FAIR]元代表。蒸留家クリストフ・ケラーが営む、南ドイツの蒸留所、Stählemühleで蒸留技術を学ぶ。帰国後、日本の優れた果樹や植物から蒸留酒を作るための候補地を探し日本全国を訪れる中で、千葉県大多喜町の薬草園跡地に出会う。2016年 mitosaya株式会社設立。現在は主任蒸留家として製造全般に携わる。